荻原一輝先生を 偲んで                       大野貞枝                                         

      

 2014年2月2日、86歳で荻原一輝先生が逝去されました。2012年の「子どもの足と靴を考える会」の忘年会では、早くから車椅子ながら満面の笑みで出席してくださいましたが、急に腰の調子が悪くなられて会が始まる前に退席されました。それ以後闘病されておられましたが、これまで数々の病気を克服されていたので、きっとまた回復されるものと信じておりましたが、連絡が途絶えがちになり案じていましたところへ訃報をいただき喪失感に襲われました。
 神戸聖ミカエル教会でとりおこなわれたご葬儀で 喪主の荻原みさき病院院長であるご子息が「鶴の一声の最後の世代」であったとご挨拶されました。葬儀に参列した帰り、古くからの会員の木下洋子さんと「言い得て妙」だと話したことでした。私は2年くらい先生の診察に立ち会わせていただいたことがあり、その時の看護士さんへの厳しい指導ぶりには驚いたことでした。先生のお好きな賛美歌は第412番だったということで葬送式次第の裏に 歌詞が印刷されていました。「一輝会」理事長であられた先生らしい勇ましいものです。 
「たてよ いざ 立て 主のつわもの
 見ずや みはたのひるがえるを
 すべての あたをほろぼすまで
 きみは さきだち ゆかせたまわん 」
  
院長はご挨拶のなかで勉強をよくされた先生の日常もお話されました。そういえば交通の便が良いマンションへ移られる前、高台の独立住宅にお住まいの頃、食事のあとは必ず「そろそろ上(二階)へ上がります。」と書斎へ向かわれ、2階がないマンションに移られてからもその言葉がつい出ていると奥様が話されていました。また「若い頃、本当に勉強しているのかしらとそっと覗いたことがあるんですのよ。でもちゃんとしていましたのよ。」と茶目っ気たっぷりに話されたことを思い出しました。長く続いていた習慣のようで、それらの知識の蓄積がもたらすものか世間一般の常識にはとらわれない発想の持ち主でもありました。
 当会が拙いながらも子どもの足の成長について情報発信を続けられてきたことも、先生の度量の広さに依るところが大きかったと感謝し、今後とも活動を継続していくことが先生へのご供養になると会員一同考えております。 長くなりますので 当会の歴史については他の会員におまかせすることにし、以上を荻原先生の追悼の文とさせていただきます。